代表の想い
昭和54年3月 ここ静岡県藤枝市にて産声をあげました。
厳格で口数は少なく酔っ払うとエロくなる超昭和的な父が主の家庭の中でたくさんの愛情をいただき、大きく大きく(カラダが)育ちました。
今は亡き父タカヒロ。無類の食道楽で大酒呑み、キレると無言で手と足が飛んでくるスパルタな昭和漢でした。
そんな父は出張や単身赴任の連続であまり家に居ることがありませんでしたが、仕事から帰ってくるたびに遊びに連れていってくれる優しい一面もありました。
出張から帰ってくると外食は決まって焼肉でした。今はもうありませんが店の名前は藤枝駅北の青木にある焼肉屋…確か春幸苑(園)?だったと思います。
昭和のあの時代◯◯和牛やエイジングビーフなんてものはなく、カルビ・ロース・タン塩・コブクロといった今となってはスタンダードなメニューばかり。
それでもモクモクの煙で燻された独特な雰囲気、クセの強い感じながらも優しい笑顔の女将さん、ゴマのタップリ入った甘くてニンニクの効いた醤油ダレ、薄いけどお皿いっぱいに盛られたカルビ、かために炊いた白ごはん。
もう30年以上前の幼少期を今でも鮮明に覚えているのは、きっと僕にとって当たり前だけど特別で、純粋に肉と向き合えたから。
お店の建物は、僕が好きだった居酒屋さんのお店。
僕たちが使う厨房の土間やカウンターは、そのままの風情で使っています
幼かった僕に肉を焼いてくれた父の優しくて嬉しそうな顔。 大人になった僕が、大好きだった居酒屋のお酒や料理お店のご主人達とのかけがえのない楽しいひととき。
いずれも純粋な気持ちで過ごせた本当に特別で大切な時間だったと思います。
今は大型チェーン店や食べ放題のお店など、肉を提供するお店の種類も様々です。
お客様にとっては選ぶ楽しさもありますし、これも時代なんだなぁと。
でも僕はあの頃父と通った…純粋に美味しいお肉を食べられるお店で在り続けたい。
最高の肉を最高の味で出し続けたい。
尖ってても愛されるお店でありたい。
そしてできるだけ安く提供できるようこれから先もがんばり続けます。
1979.3 | 静岡県藤枝市に産まれる。 |
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1997~2006 | 大阪にて調理師専門学校卒業後 ホテルや中国料理店、和食店で経験を積む。 |
2006~2011 | 静岡県内にて和食居酒屋を展開する会社の立ち上げに参加。多店舗展開に携わる。 |
2011~ | 単身渡米。肉の食文化に魅了される。 |
2016.8.29 | 故郷藤枝の地に肉屋堀もとをオープンする。 |